2018年7月2日、落語家の桂歌丸さんが、慢性閉塞性肺疾患のためお亡くなりになりました。
桂歌丸さんといえば、笑点の司会者としても有名でしたね。
また、2007年には旭日小綬章を受章した生涯を落語にささげた、そんな噺家さんでした。
桂歌丸さんの若い頃のことや奥さんと子供さんのことについてお伝えします。
また、円楽さんの笑点での歌丸さんへのイジリについては、見ていてドキッするものがありましたが、桂歌丸さんと円楽さんの本当の仲はどうだったのでしょうか。
今回は、桂歌丸さんについて詳しくご紹介いたします。
目次
桂歌丸のプロフィール
桂歌丸さんは、神奈川県横浜市出身、1936年生まれです。
遊女屋の長男であった父親と、農家の娘であった母親との間に長男として生まれますが、
3歳で父親が逝去した後は、父方の祖母に育てられます。
祖母は遊郭で働いていた経験があり、女郎屋を営んでいました。
桂歌丸さんは、遊女たちを見て育ちますが、これが後に「化粧術」という珍芸を持つ事に繋がります。
桂歌丸さんの若い頃、すでに中学2年生の頃には、春風亭柳昇さんの落語を見て落語家になると決心。
そして1951年に、古今亭今輔さんに弟子入りし、古今亭今児という名前で落語家として活動を始めます。
桂歌丸さんは、子供の頃からラジオの落語放送に夢中になっていたようで、根っからの噺家だったんですね。
1964年に桂歌丸に改名し、1966年には日本テレビの「笑点」の大喜利メンバーとして出演します。
1989年には横浜市政100周年で市民功労賞、文化庁芸術祭賞を受賞するなど、数々の賞を受賞してきました。
そして2006年にはあの長寿番組「笑点」の司会者に就任します。
桂歌丸さんが、笑点の司会者に就任する前のことになりますが、NHKで落語の名作を紹介するシリーズで出演されています。
そこで、桂歌丸さんの「厩火事(うまやかじ)」(2000年6月23日放送)、「お見立て」(2003年8月2日放送)がそれぞれ放送されています。
以下の桂歌丸さんの画像は、演目「厩火事(うまやかじ)」と「お見立て」が収録されたDVDです。
ずいぶんお若い頃の桂歌丸さんの画像に見えますね^^
キリッとしたお顔で、イケメンですよね。
桂歌丸さんは、笑点の司会をしているというイメージが強い方もいるのでは?
かくいう筆者も、桂歌丸さんといえば「笑点」という印象があります(^^♪
笑点では同じ落語家、三遊亭円楽さんとの掛け合いが有名でした!
「死亡ネタ」や「ハゲいじり」は強いインパクトを残しましたね。
三遊亭円楽さんが桂歌丸さんをけなすネタを沢山言っており、「棺桶に入ってください」などブラックすぎる(?)ネタも披露していました。
ところが、視聴者には受けが良かったようで、「あの二人の掛け合いが見たいから笑点を見ている」という視聴者もたくさんいました。
しかし2016年、体力の限界のため、笑点の司会者を引退します。
桂歌丸さんは2001年に急性腹膜炎で手術を受けてから、病に苦しむ生活が続きます…。
2009年には肺気腫、2010年には肺炎、2014年には慢性閉塞性肺疾患が悪化し
笑点を引退する頃には、痛くて歩くのも苦痛なほどの病状だったそうです。
最後の笑点では、身体が辛かったのにも関わらず、いつもと変わらないキレを見せていました。
笑点を引退後も舞台に立ち続け、酸素吸入器を付けながらも、高座に立ち、最後まで噺家としてお客さんを笑わせていました。
桂歌丸の奥さんと子供について
桂歌丸さんは、21歳の頃に4歳年上の冨士子さんと結婚されています。
桂歌丸さんの師匠である5代目・古今亭今輔さんに紹介された女性との縁談を断って
冨士子さんと結婚されたので、桂歌丸さんは冨士子さんに強く惚れていたんでしょうね!
テレビでは冨士子さんの事を「鬼嫁」だと話していましたが、実際にはそんなことはなく、
桂歌丸さんの下積み時代には冨士子さん自身が働いて生活費を稼いでいました。
桂歌丸さんが入院中も、毎日見舞いに行き、桂歌丸さんを支えていました。
桂歌丸さんと冨士子さんにはお一人、娘さんがいらっしゃるようですが、娘さんは一般人のため、詳しいお顔や名前は公表されていませんでした。
桂歌丸さんにはお孫さんもいて、さらにはひ孫さんもいらっしゃるという情報も!
「徹子の部屋」ではひ孫さんからのお手紙を読むシーンもありました。
桂歌丸と円楽との本当の仲は?
さて、桂歌丸さんといえば、笑点での三遊亭円楽さんとの掛け合い!
よく、三遊亭円楽さんは桂歌丸さんの「死亡ネタ」をしていましたね。
罵倒にも近いような、桂歌丸さんを心配してしまうほどの掛け合いもありましたが・・・。
実際、お二人の仲は悪かったのかというと・・・実はそんな事は無く。
あの「死亡ネタ」も桂歌丸さん自身が三遊亭円楽さんにすすめたものでした。
桂歌丸さんと三遊亭円楽さんとの間には、こんなエピソードがあります。
円楽さんがまだ若くて、(若い頃は楽太郎さん)笑点に出演したばかりの頃、良いネタが思いつかずになかなか手を挙げることも出来なかった。
そんな時、桂歌丸師匠は「俺のことはどう言ってもいいから!」「困った時には、俺のハゲを使え」などと言って円楽さんを助けていたということなんですね。
そんなエピソードを知らない頃の筆者は、笑点で、歌丸さんの死ぬネタなどを頻繁に言う円楽さんを見て、「この人(円楽さん)死ぬネタなんぞ言って大丈夫?」と思ったものです。
三遊亭円楽さんは桂歌丸さんの事を「3人目の父親」と慕っており、桂歌丸師匠を人間国宝にしよう!とインターネットの署名サイトで活動を行うほど、桂歌丸師匠を尊敬していたんですね。
また二人で公演会を何度も開いており、日本全国は勿論メキシコで海外公演を行った事もあります。
桂歌丸さんが入院すると、最初に駆け付けるのが三遊亭円楽さんらしく、死亡ネタ、ハゲネタを披露できるのも、二人に厚い信頼関係があるからこそできる事なんですね。
落語界には、色々複雑な掟や派閥などが存在しますが、桂歌丸さんと三遊亭円楽さんは、そんな派閥を超えた深い絆があるという事が分かりました。
桂歌丸さんは、若い頃から落語一筋。
そして抜群の演技力で、怪談などでは背筋がヒヤッとするほど、噺がお上手でした。
また、生まれ育った環境からか、女性描写が非常に上手く、所作や話し方が綺麗だな、という印象がありました。
終わりに
桂歌丸さんは、病気で苦しむことも多かったですが、私たちの記憶に残っているのは、楽しそうに高座に立つお姿ではないでしょうか?
これからは桂歌丸さんの意思を継いだ若い落語家の方がたが、落語界をより良いものにしていく事でしょう。
桂歌丸さん、今までお疲れさまでした。